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西町北21丁目

まともな事を書きます

3月11日に思うこと

本日3月11日、執筆中に日付を越してしまっていたがこの日付を見ると全国民では無いかもしれないけど9割以上の日本国民は2011年の東日本大震災を連想するだろう。

 

あの時俺は小学3年生で、小学校から下校中だった。

 

今思い返せばなかなかに揺れていたのだが、当時の俺は「まあ大したこと無いやろw」と思いながらそのまま帰宅し、家が停電している事に気づいてようやく「これ割とヤバい奴なのでは?」と悟った。

その後に一人で家を出て避難先の小学校へ向かったのだが、あの時の俺は小学3年生にして「ヤバいから避難する」という選択肢を選んでいたのだ。なかなかの判断力だと思うしその判断力が今の俺には何故無いのだろうかとか考えたりする。

 

過去に俺は震災で大きな被害を被った土地に1度だけ行ったことがある。旧野蒜駅に建った震災復興伝承館である。

 

一昨年の夏に訪問し、少し内陸側に線路が付け替えられて綺麗に建て替えられた新駅舎から旧駅の場所へ「被災地」を歩いたのだが、既にそこは綺麗に再整備されていて震災の爪痕は残っていなかった。

これは復興へ近づいている証拠であり、歓迎されるべき事だ。そしてその綺麗に再整備された道を歩いて到着した震災復興伝承館で見たのは「津波でぶっ壊された駅の券売機」と3.7mの高さに引かれた「津波浸水深」のライン。

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津波でぶっ壊された券売機

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3.7m

これを見たときはなかなかの衝撃で、写真を撮っていてなかなか来るものがあった。

 

しかし、俺が被災地を見てきた経験はこれだけである。

 

不謹慎かもしれないけど、ぶっちゃけ俺は東日本大震災についてそこまで深く考えて無いし、今年の3月11日14時46分だって布団の中でぼんやりしていたら過ぎていた。

 

 

2011年の3月11日にも沢山の命が失われた。亡くなった人たちも生前はまさか自分が震災で死ぬなんて想像もつかなかっただろう。

震災に限らず、交通事故、鉄道事故などの記録を色々と見ていると「人間マジでいつどんな死に方で死ぬか分かんねえな」と考えるようになってしまう。

明日の朝になったら目が覚めないで死んでいるかもしれないし、学校へ行く途中に何らかの事故にあって死ぬかもしれない。

俺は事故とか飛び込み自殺とかでグッチャグッチャになって人の形を留めていない状態では死にたくないなあと思っている。せめて人の形を保って死にたいと思ってる。

このブログを読んでいるあなたはどんな死に方をしたいだろうか。逆にどんな死に方はしたくないだろうか。

もし俺が死んだ後にもこのブログが残っていたらいつどんな死に方をしたか答え合わせでもしていただきたいものだ。

 

最後に、3/11だからと自粛ムードになるのはなんだかなあと割と思っている。確かにいろんな人の命が失われた悲しい日かもしれないけど3月11日は“誰か”にとってめちゃくちゃハッピーな日かもしれない。

例えば3月11日が誕生日だった人とか。おめでとう。もう過ぎたけど。例えば定期テストの英語がクラス1位だったとか。隙あらば自分語り

そうしたハッピーな事を「3月11日は悲しい日だからみんな悲しもう」と自粛するのは残念だし誰も幸せにならないのでみんな楽しいことを考えよう。楽しいことをしよう。そして楽しかったことを発信しよう。

どっかで聞いた単語だが「幸せのおすそ分け」的な感じで。思い出したハッピ~ エフェクト!の歌詞だ