今日は5月10日ということで鉄オタ達の間では「EF510の日」とEF510の写真がたくさんTwitterへ投稿されているが、EF510は俺にとって“特別な機関車”だ。
俺は母親の実家が北海道にあるという事もあって、幼少期から年1回ペースで札幌へ行っていた。
札幌への交通手段はいつも決まって寝台特急で、その他の交通手段で行く時と言ったら寝台特急の寝台が確保できなかった時ぐらいだった。
カシオペアはやはり寝台の競争率が高く、“物心がつく前”と小学校高学年の頃に乗ったきりで、それ以外はいつも北斗星に乗って札幌へ行くのであった。
上野駅の13番線ホームから、深い青色の車体に金の帯を巻いた少し古めかしい客車へ、入口のステップを上がって乗り込み、「一晩の城」である自分の寝台へ足を進める。
時にはB寝台個室ソロ、またある時には親と2人でB寝台個室デュエット、個室が取れなくて開放B寝台に乗った時もあった。
上野駅13番線ホームは札幌から伸びる線の終点であり、旅が始まる場所でもあった。横浜を出る時ではなく“この場所”こそが旅のスタートだったのだ。
19時3分になると、「あゝ上野駅」の発車メロディーが流れ、機関車が汽笛を吹いて僕らの乗る客車を引っ張り始める。
過ぎ去る街の光を窓から眺めつつ、ハイケンスのセレナーデに続く車掌の放送とジョイントの音をBGMに部屋の中で駅弁を食べる。食堂車なんて贅沢はしない。
眠りから覚める頃、列車は既に北の大地を走っていて、窓の向こうには内浦湾の景色が広がっている。札幌に着くまで車窓を眺めながらぼんやりとする。
札幌に着くと、ディーゼルエンジンのアイドリング音が騒がしいホームへ降り立ち、西町にある親の実家へ行く。
という「1年に1回の特別な旅」に北斗星は欠かせない存在だった。
鉄道趣味に目覚めたのは小学6年生あたりなのだが、北斗星の旅の記憶は今だって思い出せる。それほどに北斗星という列車は素敵な列車だった。
鉄オタに「寝台特急の牽引機と言えば?」と聞くと、大半のオタクはEF66やEF65、EF81など、往年の寝台特急牽引機を答えるだろう。
青い車体に金の帯を巻いた客車との一体感、最新の機関車故の凹凸が少ない“塊”感、国鉄時代の機関車とはまた違った重厚感、全てにかつての俺は魅せられた。
「北斗星の牽引機と言えばEF81だろ」という人もいる事だろう。
ぶっちゃけ俺はEF81の北斗星に関する記憶がまったく無い。乗ったことは間違いなくあるはずだ。
俺が鉄道に興味を持ち始めた頃は既に北斗星の牽引機がEF510に変わっていたからだろうか。それとも他の理由なのかは分からない。
俺の中で北斗星を引っ張る機関車の記憶は「EF510」と「DD51」しか無い。
そんなこともあって、北斗星ひいてはEF510への思い入れは人一倍強い。
2015年春の定期運行終了・同年夏の完全引退どちらのラストランも見に行った。当時はコンデジキッズだったので今になって見返すとお粗末な写真ばかりであるが、人混みの中へラストランを撮りに行ったのはこれ以来一度もない。
今となっては北斗星の運行は終わり、老朽化した客車は解体、EF510は星を剥がされ貨物用に転用され、かつての「編成美」という言葉を体現したかのような青が連なる長編成を見ることはできない。上野駅13番線も発着列車がめっきり減り、挙句の果てにはあゝ上野駅だった発車メロディーから発車ベルへ変わってしまった。
そこにかつての上野駅13番線はもう存在しない。
現在のEF510は主に日本海縦貫線を大量のコンテナを牽いて走っているらしい。パンタから飛び散った鉄粉で汚くなった写真を幾度となく見かけるが、いつもピッカピカだった寝台牽引機時代を見るとどこか物悲しい感じである。
汚れた状態もそれはそれでかっこいいのだが、いつかは検査明けでピッカピカになって貨物を牽く青いEF510を撮りたいものだ。