これの続き。
さて、腹ごしらえを済ませたら近鉄名古屋駅へ向かう。窓口でフリパを受け取り、いよいよ改札内へ。この男、でんぐるまひろしだと言うのになんと近鉄に乗った経験が中学校の修学旅行で奈良から京都へ移動した時の1回きりしか無い。ひろしの風上にも置けねえな。
せっかくなので少し写真撮影行為をしてから電車に乗ることにした。
でんちゃ^~
でんちゃ^~
でんちゃっちゃ^~
トンネルがかなり明るくて撮りやすく、なかなか好印象。
近畿日本ご自慢のシャア専用特急もいた。俺もくつろぎのアップグレードしたいぜ。
時計が8時を少し回った頃になって、そろそろ飽きてきたので移動を開始することにした。第一目的地は桑名である。まだ朝の時間帯であるから、「時間はたっぷりあるし各停でゆるゆると移動するか~」などと余裕をぶっこいて富吉行きの普通へ乗り込んだ。まだ通学時間帯だからか、地元の学生がたくさん乗っている。
近くに高校があるのか烏森で学生たちがごっそり降りると、車内は各駅停車に特有のなんともゆる~い空気感に包まれる。この空気感が好きで、ついつい移動のときは各駅停車に乗ってしまう。
8:35 富吉駅
20分程度で終点の富吉に着いてしまった。この先へ向かう列車にも時間があったし、やたらスタイリッシュな塗装の団地が建っていたのも気になったので富吉で一旦改札を出る。
富吉はさほど客の多い駅ではないが、駅に隣接して車庫があるので乗務員と思しき近鉄の制服を着た職員がたくさん歩いていた。聞こえてくる会話も「ちょっと休もっか~まだ時間あるし」などとかなりほのぼのとした雰囲気の会話でとても雰囲気がいい。
これが気になっていた住宅である。こんなスタイリッシュな見た目ではあるが、建物の内部を少し見てみるとなかなかに古さを感じるデザインが随所に見られる。きれいな外観になっているが、部屋の中身もリノベーションされているのだろうか。
富吉は駅周辺にとにかく高層住宅が多くて、南口を出るとすぐ横にファミリーマートが1軒ある他、見える建物はほぼほぼマンションや高層アパートの類だった。それぞれ建設された時期が違うのか、どの住宅も微妙に異なった雰囲気を放っていて面白かったのだが、普通に考えて住宅へレンズを向けて写真を撮りまくるのは不審者以外の何物でもないので、スタイリッシュな塗装のものを撮るだけにしておいた。
程よく時間も潰れたので駅へ戻る。改札へ入ると、ギャン泣きしている親子連れの幼児を宥めている近鉄職員がいた。やはり富吉駅はほのぼのとした空気が漂っている。
9:30 桑名駅
駅周辺をうろついているうちに富吉まで乗ってきた電車の後続を何本かやり過ごしてしまっていたみたいだが、幸いにもさほど時間を開けずに塩浜行きの普通がやってきたので乗り込む。最初は四日市まで乗るつもりでいたが、桑名に見ておきたい場所があったのをすっかり忘れていて、桑名で飛び降りた。
桑名駅からおおよそ5分ほどやってきたのは踏切だ。桑名駅から少しの間は三岐鉄道北勢線とJR関西本線、そして近鉄名古屋線の3路線が並走する形になる。この3路線は線路幅が三岐は762mm、JRは1067mm、 近鉄は1435mmと全て異なっていて、この3つの異なる線路幅を一度に跨ぐことのできる日本唯一の踏切がこの踏切なのだ。
踏切の名前はJRの場合は「構内踏切」らしい。なんとも安直なネーミングである。
さて、3線の踏切をそれぞれ渡ってみようじゃないか。
これが三岐鉄道(762mm)。
これがJR(1067mm)。
で、これが近鉄(1435mm)。なるほど。確かに違う。
三岐と近鉄を比べると広さの差がものすごい。近鉄は三岐の2倍弱も広いんだもんな。
桑名にあった用事はこれだけなので、早々に駅へ戻って四日市へと向かう。もう昼も近くなってきたし、ちょうど次に来る電車が急行だったので各停でダラダラ進むのはやめにして急行へ乗って四日市へ。
10:15 四日市
四日市へやってきた。なんでも四日市は三重県の中でも県庁所在地である津より栄えているらしい。ほう。一体どれだけ栄えているのだろうか。
ふむ。
なるほど。
大都会じゃん?
人通りが少ない感じは否めないが、なかなかの大都会。駅ビルのテナントに丸善とか見えたし。駅ビルの外装もなかなかに凝っている。
そんな大都会四日市の街を歩いて駅から少しJRの四日市駅方面へ歩き、角を右へ曲がった場所にあるたい焼き屋の伊藤商店へやってきた。角を曲がる前から生地の焼ける香りが漂っているので、かなり分かりやすいのではないだろうか。
突然だが、たい焼きには天然と養殖という2つの焼き方があるのはご存知だろうか。大きな型に生地と餡を入れて複数個一気に焼くおなじみの方法は養殖、小さな型で1匹分づつ焼いていく方式が天然だという。最近は天然のたい焼きを食すことのできる店はかなり減っているようで、天然のたい焼きというのは今や希少価値となっているのだ。
ここはちょっと前から読んでいる四日市や菰野周辺を舞台にしたweb小説で登場していたのだが、たい焼きに関する描写が完全に天然のものに対するそれで前から天然のたい焼きを食べたいと思っていた俺はかなり気になっていたのだ。
たい焼き1匹、180円也。念の為「たい焼きの写真撮ってもいいですか」と店主の人に聞いたら皿を出してくれた。気さくな人だなあ。
食いかけというあんまり綺麗でないものを見せることになるが、天然のたい焼きの特徴はなんと言ってもこのパリパリの薄い皮にぎっしり詰まったあんこにある。養殖物ももちろん悪くないが、やはりこちらのぎっしり詰まったあんこの満足感にはとても敵わない。
11:20 菰野町
次の目的地へは名古屋線から少し逸れて湯の山方面へ向かった先にあるので、湯の山線ホームにいた電車へ乗り込む。かつては大阪から直通の特急も走っていた時期があったそうだが、今は短編成のワンマン列車がトコトコと走るちょっとしたローカル線のようになってしまっている。昼前という時間も関係しているとは思うが、同じ車両にいたのは自分の他に片手の指で数えられるほどしかいなかった。その数少ない乗客の中に制服を着た女子高生が乗っていたのだが、こんな時間になぜ高校生が電車に乗っていたのか、今でも不思議でならない。運行頻度はさほど高くないようで、乗り込んでから15分ほど待った頃にようやくドアが閉まり、電車が動き出した。
中川原とかいう京王みたいな駅名を眺めたりしながら電車に揺られておよそ10分、下車したのは桜駅。随分と春らしい駅名だなあ。
そんな桜駅から少し歩いたところにあるこの廃バス停が2つめの目的地。
気づいていただけただろうか。ベンチの両端に見えるジャスコの文字が。そう。ここはジャスコの初代ロゴが残っている廃バス停なのだ。
2011年に全店舗のブランドをイオンへ転換しジャスコは消失することになるが、かつてジャスコにお世話になったフォロワー諸兄は多いはずだ。そんなジャスコのロゴと言うと、下のようなものを想像する人々が多いだろう。
これらはそれぞれジャスコの3代目と2代目ロゴであり、緑と赤のやつが登場する以前のロゴがこの廃バス停に残っている初代ロゴなのだ。緑と赤の2代目が登場したのは1974年のことで、過渡期を経ていつ頃初代ロゴが消失したのかは調べていないので不明だが、2代目が登場する前なのだから、少なくとも1973年以前から実に50年近く、もしくはそれ以上の間この廃バス停が存在していることになる。
こんなにも長い間残っていながら、ジャスコの文字と初代ロゴが黒々と残っているのは屋根があるお陰だろうか。それにしても廃バス停なのだから廃止されると同時に撤去されてもおかしくない中、今でもこの状態で残っているのは奇跡と言っても差し支えないだろう。
すげえ!!!!!!!!!!!!!
ジャスコだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
本当にジャスコだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
初代ロゴだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
信じられるか?これ撮ったの令和なんだぜ?
この待合室の設置するための出資者だろうか、地元の偉い人たちの名前と並んで「ジャスコ株式会社様」の表記が見える。菰野はジャスコ、ひいてはイオングループの原点となる岡田屋が創業した四日市からほど近く、ジャスコと縁の深い土地なのだろう。
ジャスコを堪能した後は同じ駅へ戻るのも芸がないので、少し距離はあるものの桜駅から湯の山温泉側へ一つ隣の菰野駅へ行くことにした。道中に冠詞大きい*1があるので、ついでに地元のスーパー観察ついでに寄ることにした。
母親から「四日市トンテキのタレ売ってたら買ってきて」との指令を受けていたため、ソースのコーナーを覗いたり、お菓子コーナーや鮮魚コーナーなど、地域柄が出やすいコーナを一通り眺めてみたものの、あまり地域色は見受けられなかった。残念。
冠詞大きいを出てからは、幹線道路の歩道を歩いて菰野駅へ歩いてゆく。
道中には店名がオノマトペのコインランドリーがあったり、
焼き鳥の値段が変わったのを消して誤魔化している店があったり、
見るからにカメラのキタムラ跡地の雰囲気を放つ建物があったり、
「アパート」という名前*2のアパートがあったり、
ちょっといい感じの床屋があったりしてなかなか面白い。
👍イイね👍
菰野駅の前には見たことないチェーンのコンビニがあった。どうやらニュージョイスはパスコ(敷島製パン)が展開するコンビニだそうで、近畿や中部を中心に展開しているらしい。が、ニュージョイスカワイは今は既に閉店してしまっているようだ。自治体名を冠しているにも関わらず駅前一等地にコンビニの抜け殻がある駅とは…
菰野駅に到着するとちょうどいいタイミングで四日市行きの電車が来たので四日市へ戻り、次の目的地である伊勢神宮へ向かう。四日市から乗った急行はVX*3だったのでご満悦。
電車は野生のポップ体台無しbotなポスターと俺を松阪へと運んでゆく。松阪駅から先は2両編成のワンマンへ乗り換え、明野駅の手前で外壁がヒョウ柄の家に度肝を抜かれたり、宮町駅のアクセントがみに来ることに少し驚いたりしていたら、電車は宇治山田に着いていた。
14:40 宇治山田
気づけばもう陽もかなり傾いてしまっている。他に降りた客はあまり多いようには見えなかったが、外宮へ行く人はみんな伊勢市で降りてしまうのだろうか。ホームに見えるのはちょうど帰宅時間の高校生ぐらいだ。
宇治山田駅はかつてバスと電車が同一平面で乗り換えできたそうで、今でもその設備の遺構が残されている。この柵の向こう側にかつてはバスが停まっていたそうな。
近鉄の伊勢神宮に対する気合の入れようが尋常でないことをこれでもかと示しているやたら豪華な作りの駅舎はなんと貴賓室も備えているそうで、とにかくすごい。
ここまで昼飯を食いそびれていたので駅近くにあるまんぷく食堂で唐揚げ丼(有名らしい)を食おうと思っていたのだが、この日は15:00から営業となっていたようなので少し駅周辺をブラついて時間を潰す。
先述のバス乗り場へ続くアプローチや
屈まないと桁下制限高に引っかかる橋を見たりしていたら15:00になっていたのでまんぷく食堂へ戻り、昼食を頂く。
けっこう有名な店のはずなのだが、こんな時間だからか他の客はいなかった。
ミニ唐揚げ丼とミニ伊勢うどんのセット。美味かったです。
食い終わった頃には既に時刻は16時前。そこで現れた問題が伊勢神宮の参拝時間だ。この時期だと伊勢神宮の参拝時間は17時までだそうで、参拝時間のことなんぞ全く考えておらず、このタイミングでようやく気づいた俺は4つの選択肢から行動を選ばざるを得なくなった。
1. 外宮だけ行って内宮は諦める
2. 内宮だけ行って外宮は諦める
3. どちらかに今日行ってもう片方を翌日に回す
4. 両方諦める
こんな時間に宇治山田から内宮へ行くには時間が厳しいので、まず2は無理、外宮だけ行くのもなんか気分が良くないし、かといって伊勢まで来て伊勢神宮を素通りするのは勿体ない。なので今日のうちに外宮へ行って内宮は翌日に回すことにした。
よくよく考えたら午前のうちにダラダラと各停で移動していなかったり、菰野まで歩いていなかったらもっと時間に余裕を持って両方行けたのかもしれない。行きたい場所とおおまかな時間しか考えないガバガバ行程で旅行しているからこうなるんだ。
鳥糞だらけの道を歩きながら外宮へ向かう。案内をgoogleマップへ丸投げしていたので外宮の入り口でないよく分からない場所に設定されていたお陰で余計に時間がかかってしまった。
普通そんなところに傘置く???????????
15:45 伊勢神宮 外宮
やってきました伊勢神宮。こんな時間だからか人はまばらで、自分の他に境内で見かけた人は両手の指で数えられるぐらいしかいなかった。このご時世なので密を避けられたので、この時間に来るのもまあ悪くはないかもしれない。
このご時世なので手水舎も柄杓が撤去され、水道からダバダバ出ている水で手と口を清めるようになっていた。まあ確かに口すすぐし柄杓だとリスクめちゃくちゃ高いよね。
境内はすごく広くてなんか凄い感じ。なんかもっとまともな感想書けねえのか。感受性が終わっている。
同じ境内に複数の社があることを行ったその時まで知らなかったので五円玉のストックが足りず、五円玉は一人の神様にしか貢ぐことができなかった。他の神様にはインターネットで五円以外に縁起のいい賽銭の金額を調べて手持ちの小銭から作れる組み合わせを投入しておいた。五円より多いしきっと許してくれるはず。知らんけど。
参拝を終え、入口へ戻ると菊が展示してあるのに気づいた。この時間のどんよりした明かりでもなんだかいい雰囲気になるから不思議。
16:30 伊勢市駅
来る時はやたら豪華な駅舎を見るために宇治山田で降りたが、帰りはそんな事は関係ないので最寄りの伊勢市駅まで歩いていく。やはり伊勢市が外宮へのアクセス駅としてメインを張っているようで、土産物屋や飯屋が軒を連ねていて、宇治山田から歩いてきた道路とは比べ物にならないほど栄えていた。
伊勢はとにかく赤福の広告が多い。伊勢神宮の最寄り駅たる伊勢市駅ももちろん例外ではなく、ご覧のように見渡す限りの赤福、赤福、赤福。
この時間はどうやら放課後にちょっと遊んできた高校生たちの帰宅時間と被っていたようで、駅ではいたるところで青春の1ページが繰り広げられている。オタクいじめか?
今夜の宿を構えているのは津なのだが、撮りたいものがあるので名古屋行きの急行に乗り、津をスルーして四日市方面へと引き返す。
元々は伊勢神宮→ブルーアワーに長太の大楠→塩浜で工場夜景という計画を練っていたのだが、伊勢中川の手前でこの空模様。乗車中にすっかり夜の帳は下りきって、車窓を流れるのは夜の闇と地上の星だけになってしまった。こんな時間に行っても何も見えないので長太の大楠は翌日の早朝へ回すことにする。朝から四日市方面へ引き返すのは勿体ないが、長太の大楠は外したくないので仕方ない。
電車を塩浜で降りて夜景を撮りに目星をつけていた場所へ向かう。歩いている最中、5分もしない間にパトカーを2回も見かけた。治安が心配になってくる。
不審者に遭遇することも自らが不審者になることもなく、無事鈴鹿川の河川敷にやってきた。ここからは対岸に昭和四日市石油の四日市製油所を望むことができるのだが、ほっそい上に街灯もない真っ暗な道路をけっこうな頻度で車が猛スピードでかっ飛ばしてきてなかなか怖い。夜に歩くかもしれないからと持ってきていた自転車のライトを三脚へくくりつけて「ここに何かいるぞ」とアピールしながら撮影することになった。
河川敷から望める工場の景色。まずは広角でいただきます。
広角に飽きてきたらレンズを望遠へ付け替えてグワッと寄ってみたり
広角カットを見返すといまいち満足いかなかったのでラウンド2へ突入したり
この工場だけでもいろいろな場所や角度からいろいろな写真を撮ることができるのだろうが、夜景を撮る時は一度腰を据えてしまうと場所の移動が非常に面倒くさい。三脚展開するのが面倒だからと三脚を滅多に使わない男にとってはなおさらだ。それに加えて、先にも書いたように河川敷は車がビュンビュン走っているので下手に歩き回るのも危ないだろう。一箇所からしか撮らなかったとは言え、切り取りかたにバリエーションを与えながら撮るのは楽しかったので良しとしよう。
20:40 津
津へ戻る道中の北楠駅前には猫がたくさんいた。ヤバい猫屋さんしたかったのだが、駅に着いたと同時に電車が入ってきたので泣く泣く猫を見逃して電車へ飛び乗り、津へ戻る。
今晩のお宿は津駅から歩いて数分の場所にある東横イン。U35割のおかげでネカフェに1000円追加程度の価格で泊まれて大変ありがたい。
が、宿へついて早々に再び電車へ乗り込む。向かった先は一つ隣の津新町駅。津駅周辺にはスーパーがあまり無い上、コロナ禍のおかげで飯屋はどこもかしこも時短営業。こんな時間まで呑気に写真を撮っていたので晩飯難民になってしまった。そのため、晩飯を確保するついでに津新町から1kmほど歩いた場所にある銭湯で大きな風呂へ入ることを企てたのだ。
閉店間際のスーパーへ駆け込むが、閉店間際まで弁当の類が残っているはずもなく、仕方ないのでスガキヤのカップラーメンとせめてもの地元要素として30%引きになっていたうなぎの肝の蒲焼き(津はうなぎが有名らしい)を確保。昼の冠詞大きいでは売っていなかったトンテキのソースもここでは売っていたので確保。
それからはいかにも地元密着型といった風情の銭湯でホカホカ入水。貸しタオルを無料で貸してくれただけでなく、シャンプーまで貸していただいてしまった。ええんか?料金表に貸しタオル料金書いてあるんだけど。
やはりデカい湯船に浸かるのは最高や。大浴場にはホテルのユニットバスからは得られない栄養がある。電気風呂なるものもあったので物は試しと入ってみたが、めっちゃ筋肉が痙攣した上に上がったあとも足がつったような感覚が残ったので自分は電気風呂に適合しない人間であるという新たな発見も得た。二度と電気風呂は入らん。
ホカホカ入水でぼんやりしていたらいつの間にか最終電車の文字が見えるような時間になってしまっていた。こんな時間なので車内の人もまばらであった。
津へ戻ると、QR顔の看板を横目に宿へ戻り晩飯を頂く。この頃には既に時計の針は0時を越えていた。伊勢から塩浜に直行しないで四日市あたりで飯食ってから塩浜に行けばよかったとも思ったが後の祭り。まあ昼飯の時間も15時とかなり遅かったので空腹感には苛まれなかったのが唯一の救いだろうか。
うなぎの肝はめっちゃ不味かった。二度と食わねえ。後になって考えれば肝という時点で察することもできただろうが、完全に味が珍味のそれである。いわゆる「日本酒に合う味」のそれなのだが、生憎このときはまだ20歳の誕生日を迎えていないため、死にそうな顔になりながらうなぎの肝を完食し、眠りについた。
次の朝もかなり早起きだぞ。頑張れ俺の体。
続く。たぶん。