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まともな事を書きます

モノクロ写真は「雰囲気があるように見える」のは何故だろうか

写真を趣味にしてる皆さん、写真をなんか雰囲気があるように見せたい時って何かとモノクロにしがちじゃないですか?

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こういう奴

私はこういった簡単に雰囲気があるように見える写真の撮り方ってなかなか好きじゃなくて、俗に言う「傾ければスナップ」的な風潮はそれこそ親を殺されたかのように嫌っているのですが、傾ければスナップは別として最近は私もモノクロ写真に手を出してしまいました。

やっぱり簡単に「それっぽい」感を演出できるんですよね。

 

「簡単にそれっぽい感じを出せるのは分かってるけど何故なんだろうな〜」って事を暇なときに割と考えたりするのですが、今回はその中で考えたことをこの場所に書き出してみようと思います。

 

写真において“Story”を語らしめる存在は?

FujifilmXストーリーにフィルムシミュレーションの色作りに関する記事がありまして、そこで語られていたのが

言うならば、”ToneによってStoryを語らしめる”Film Simulationである。

“Classic Chrome”が”Toneをしてコミュニケーションする”としたら、”Velvia”は、”Colorをしてコミュニケーションする。

という2つの記述。前者は「CLASSIC CHROME」、後者は「Velvia」というフィルムシミュレーションに関する記事の中での一文なのだが、ここで出てくるのが写真の中の“Story”を語らしめる、“コミュニケーションする要素”という物。

 

写真における主な“コミュニケーションする要素”は“Color”と“Tone”の2つ。2つともどちらも写真の中でかなり重要な要素である。

しかしモノクロ写真には“Color”が存在しない。“CLASSIC CHROME”は「ToneをしてコミュニケーションするFilm Simulation」と語られていたがモノクロは“Color”が無いのでToneでコミュニケーションする、というより「Toneでしかコミュニケーションできない」写真なのだ。

 

“コミュニケーションする要素”が少ないのならカラー写真の方が表現力は上手なのでは?と思うだろう。次はそれについて話をしようと思う。

 

“Art of omission”という考え

「Art of omission」、日本語にするなら「減算の芸術」だろうか。

Toneでコミュニケーションする写真を作る・仕上げようとした時に“Color”は余計な情報となり、Toneによって語らしめるStoryが明確なものでは無くなる。そこでColorをOmitするとToneによって伝えたいものがより明確なものとなる。

 

「Art of omission」というのはどの世界にも通用するもので、余計なものを削ぎ落としたシンプルなデザインは誰からも「美しい」と認識される。Apple製品のデザインなんかはそういう物だ。

 

シンプルなデザインの物は美しいし、余計な要素を取り除いた写真は余計なものが存在しないので“伝えたい物”に自然と目が引き寄せられるようになる。

そういった所が個人的には「モノクロ写真は雰囲気があるように見える」所以だと思っている。まあ身も蓋もないことを言えば「みんな古いものは好きだから古い時代の写真としてモノクロにすれば古いような雰囲気が出る」っていうのもあると思っているがそれに関してはその一言で終わるのでこの記事では語らないことにしておいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはそうと日雇いバイオのクソ長待機時間が死ぬほど暇です。こんな記事を一つこさえてしまう程度には暇なんですがこの記事を書き上げてしまったのでまだ数時間残っている待機時間で何して時間潰すかというめちゃくちゃ贅沢な悩みを抱えています。

こんなことを書いている間にも給料が発生していると考えればなかなか悪くないがいかんせん暇であるとにかく暇なのだ。助けてくれ。